わたしのきもち

15歳のきもち

私の福祉との出会いは、高校通学時のバス車内での出来事でした。
中学時代仲良くしていた、知的障害をもった友人との再会が、きっかけです。
私がバスに乗車すると、彼はすぐに私に駆け寄り、「藤田雅一君」と私の名を何度も何度も繰り返し呼びました。
中学卒業以来、1年ぶりの再会であったため、私を覚えてくれていたことに驚き、嬉しさがこみ上げてきました。
その時感じた「あたたかな気持ち」は、今でも鮮明に覚えています。
これが、私が福祉を考えるようになったきっかけであり、福祉との出会いです。

15歳のきもち

高校時代の藤田

18歳のきもち

私は、大学において福祉を学んでいました。そして、入学後すぐに特別養護老人ホームの介護職員として勤務を始めました。
そこで、私は人生で初めて、「本気で怒られ、自分自身を否定される」という経験をしました。立ち方、歩き方、言葉遣い等、介護技術以前の事を毎日指摘されました。毎朝、仕事に行くことが嫌で仕方ありませんでした。
しかし、入居者の方との時間を重ねていくにつれ、入居者の方が私を認めてくれるようになりました。
死と隣り合って、間もなく人生の幕を閉じようとしている方々と接していると、「生きる」ということの大切さを教えられているような気がしました。
手を握る、するとこの方にも私と同じようなあたたかい手があることに気づきました。目と目で語り合う、するとその方の黒目に映る自分の姿が見えました。
私にとっては特別養護老人ホームが人生の学校であり、入居者の方々が人生の師であるかのように感じました。

20歳のきもち

福祉に関わるなかで、私が常に意識している言葉があります。
「優しさの反対は、無関心である。」18歳で出会ったマザーテレサの言葉です。
私は、仕事を始め、2年が経ち、仕事にも慣れてきました。仕事に慣れるにつれ、当初感じていた感謝や感動の気持ちが少なくなっている気がしていました。
そこで、私は福祉と出会った原点を思い出すために、マザーの活動拠点インドに行こうと決めました。決意後、行動は早く、2ヶ月後には「人間の森」インドの地に立っていました。
そこで、「死を待つ人の家」「孤児の家」を訪れ、マザーの活動に触れてみました。路上に倒れて死にかけているおじいちゃんと一緒にシャワーを浴びました。片足しかない少女と一緒に絵本の読み合いをしました。
言葉は伝わらないけど、心は通じました。
私は、ストリートチルドレンや死にかけているおじいちゃん、おばあちゃんにお金をあげることはできませんでした。ただ、「一緒に過ごす時間」を共有することができました。
インドでも日本でも同じだと思います。「誰かと優しく向き合う時間」誰もが求めているのは、この時間ではないでしょうか。
そんなことを思いながら、夕暮れのインド、私は宿へ向かい、清々しい気持ちになった事を覚えています。ただ、インドで過ごした1ヶ月は、「旅行」というより「修行」でした。

20歳のきもち

インドにて

いまのきもち

現在の気持ちを一言で表すと「感謝」です。
私を応援してくださった高齢者あんしんセンターの方々、居宅介護支援事業所の方々、訪問介護事業所の方々、福祉用具事業所の方々、通所介護事業所の方々、そして私を育ててくれた利用者、ご家族の方々、さらに父、母、祖父母、叔父、兄弟、一番近くで常に支えてくれた妻等……。
感謝の気持ちをいくら伝えても、伝えきれない方々ばかりです。
「1人ではない。応援してくれる人がいる。」このことが、私にとって、これほど大きな支えになるとは想像もできませんでした。
皆様の支えのおかげで、「現在の私」があります。
この感謝の気持ちを忘れずに、仕事に取り組もうという強い決意があります。
「感謝」
わたしのいまのきもち、そして、今後の私の支えとなる宝物です。
これまでの出会い、これからの出会いに感謝をこめて。